ZINEを退職した話

はじめまして、高根です。

ZINEには2年ほど在籍しながらも、自社メディアでは記事を書きませんでした。転職するのでさいごに退職エントリを書こうと思います。

私が書く仕事を始めた訳

私が書く仕事を始めようと思った理由から話そうと思う。

文章を読むのがとにかく好きだった

子どものころから文章を読むのが好きだった。わくわくとハラハラが入り混じった気持ちで小説に没頭した。手に汗をかきながら読むもんだから、よく紙をしわしわにさせていた。

高校生くらいになるとエッセイにも手を出した。

特に好きな作家は中島らも。軽妙かつユーモアが溢れる作風で落ち込んでいるときでもつい笑ってしまう文章を書く作家だ。ときにはシリアスな話もあったが、ところどころに読者を脱力させるような「らもさん節」が光った。

人生、ゆるいくらいが丁度いい。らもさんの文章は、基本的に肯定だ。どんなにダメ人間でも、アウトローでも、どうしようもないドジをしても、面白おかしく書きながら、それらすべてを肯定する。そのままでも良い、と言われているような気持ちになる。彼の優しい文章に、きっと救われていたのだと思う。

雑誌の世界へ飛び込む

ワケあって大学を中退したとき、レールに沿った人生を歩むことはないのだと腹をくくった。

そこで考えたのは、手に職をつけること。私は本や雑誌が好きだ。ページをめくるときのわくわく感や華やかな広告、気の利いたエッセイ。いつも私に驚きや新たな発見をくれたのは雑誌のコンテンツたちだった。私も雑誌を作る能力を身につけたい。その一心で飛び込んだ先は、とある編集プロダクションだ。

時給にして200円代の収入、小学生の夏休み期間より短い年間休日。何日も家に帰らず、オフィスで寝泊まりする日々が続いた。もともと体は丈夫な方ではない。カフェインやニコチン、イブプロフェンやらでごまかして仕事をした。

先輩のチェックを経た原稿は、毎回修正指示が大量に入り真っ赤になっていた。自分の能力のなさに失望しながらも、見本誌が届いたときの喜びはひとしお。三徹分の疲れであれば一瞬にして吹き飛んだ。仕事自体が劇薬のようだった。

とはいえ、紙媒体が売れない時代。雑誌が休刊になることも珍しくなかった

同時期、界隈でもWebメディアの存在感が増し始めた。しかし、所属していた編集プロダクションはWebに明るくない。それどころか紙媒体のなかでは調子の良かったエロ系なども扱っていたためか、どこか紙媒体の行く末を楽観視していた。

これからの時代、Webを知らないと生き残れないかもしれない。私はWebの世界を見るため独立を決意した。

Webメディアの世界へ飛び込む

フリーライターとして独立してからは紙媒体やWeb媒体でライティングや編集、ディレクションを請け負った。一時期は、Webと紙の制作会社に入社したこともあった。

どんなときも書き続けるために独学を続け、常に自分の引き出しを増やすように務めた。

ある日Webメディアの読者から、仕事用のメールボックスに一件のメールが届いた。内容は、私の書いた記事を読んで救われたというもの。詳細は伏せるが、長年のコンプレックスを認められるようになったのだという。

読者に届いた。瞬間、頬が火照り、喜びが湧き上がってきた。伝えることは影響を与えること。おこがましいかもしれないが、何か新しい視点や価値観が生まれ、ポジティブな感情が生まれる手助けとなればこんなに嬉しいことはない。

Webメディアのノウハウを吸収したくてZINEへ入社

2017秋。オフィス引越しでエルゴトロンを初めて組み立てた。世の中には便利なものがあるなあと思っていたときの写真

ZINEはクライアントのうちのひとつだった。

ZINEと出会ったころは紙媒体、それも週刊誌の文体が抜けていなかった。いくつか記事のライティングを請け負ってWebの文体に慣れはじめたとき、正社員としての登用を打診された。

ときはオウンドメディアの最盛期。ZINEはオウンドメディアを育てるノウハウを持っていた。Webメディアの知識を入れたかった私にとっては渡りに船である。確かな力が付きそうだと期待して承諾した。

ZINEで楽しかったこと

メディア戦略を立てることが楽しかった

ZINEはオウンドメディアの作成とその成長がメイン事業だった。私自身も入社してすぐいくつかの媒体を任せてもらい、メディアを育てる経験をした。

クライアントがオウンドメディアを作るのは目的がある。その目的を達成するために考えることは無限にあった。

どのように集客し、どのような記事を書き、どのように発信するか。指標にする数字は何か。数字に起こしにくい目的のときはどのような指標を定めるべきか。クライアント企業におけるメディアの地位向上のためにZINEから何ができるか。

メディアを成長させる方法を手探りで学び、クライアントにあわせてアレンジを加えながら実践し、効果を見て改善を繰り返していく。地道な作業ながら、少しでも数字に反映されたときは嬉しかった。

メディアという枠組みを越えたい

2017春。毎週月曜日に進捗を共有する定例会の一幕。今思うと前髪を切りすぎていた

転職の理由は「やりたいことができたから」。

ZINEはメディアの会社だ。オウンドメディア運営の仕事をメインとしていることもあり、クライアントがZINEに期待するのはメディア領域のみに限られることが多い。

しかし私はメディアという枠組みを超えたい。メディアの特性である「知らせること」は何も、紙やWebを媒体にしなくても実現できる。それはリアルイベントかもしれないし、チラシかもしれない。DMのほうが届きやすい場合もあれば、口頭がベストだというケースもあるだろう。

とはいえ、担当しているメディアの方向性を最終的に決めるはクライアントだ。情報を伝えるためのより良い方法があったとしても、メディアコンサルという立場からこれらを提案、実行していくのは難しい。

もどかしさを感じるなか、とある企業と縁があり、広報・マーケティング部に採用された。そこでなら体系的にマーケティングを学べ、かつ実践経験も積める。独学でマーケティング戦略を考えていた私にとっては次に進むべきステージのように思え、ZINEを退職しようと決意した。

おわりに

最終出社日にこの原稿を書いている。入社してからは長かったような、短かったような、不思議な気持ちだ。クライアントや取材先、外部パートナーの方々など、たくさんの人にお会いした。私と違う人生を歩いてきた人たちは、私に新しい視点や価値観をもたらした。

ZINEではWebメディアで伝える方法を学んだ。新しい職場は、メディアという枠を超え、さまざまな方法で人に情報を届けられそうだ。

どちらが良いとか、悪いとか、そういう話ではない。ただ試してみたい。いうなれば好奇心だ。私はいつも好奇心に突き動かされているのだ。
では、またどこかで会いましょう。